「WebGuide阿賀野」の「自然のページ」では、 新潟平野の生い立ちなど 新潟県阿賀野市とその近隣地域の自然について紹介しています。 |
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新潟県阿賀野市のモウセンゴケ(食虫植物,モウセンゴケ科) |
平成21年5月16日 新潟県阿賀野市の笹神丘陵の麓でモウセンゴケが自生しています。 |
新潟県阿賀野市のバイカモ(梅花藻)とサギソウ(鷺草) |
平成25年6月15日 豊かな自然に恵まれている新潟県阿賀野市にはバイカモ(梅花藻)や鷺草が自生しています。 バイカモ-H25/6/15撮影 サギソウ-h25/8/27撮影 |
阿賀野市から撮影した国際宇宙ステーションの写真 |
平成21年3月17日 国際宇宙ステーション(ISS)の軌跡です。この写真の後、若田光一さんが長期滞在を開始しました。 |
地質時代と日本列島 |
五頭連峰は、500万年に海中から顔を出しました。笹神丘陵は、30万年前に隆起し始めました。 |
蒲原郡の名前の由来と言われる”ガマ(蒲)” |
ガマ(蒲)-2011.7.24撮影 新潟県内の郡名”北蒲原郡”などの由来と言われるイネ科の植物。 「因幡の白兎」が治療に使った”水門の蒲”もこのガマと思われます。 (写真をクリックで拡大されます) |
新潟平野の生い立ちと阿賀野市の自然9,000万年位前、新潟平野東縁の五頭山(ごずさん)は、阿賀野市民にとって最も親しまれている自然の一つです。 五頭山本体の花崗岩は、およそ9200万年位前、中生代の白亜紀という時代にマグマが固まってできました。 その頃の新潟県阿賀野(あがの)市はもちろんのこと、日本列島はまだ大陸の一部でした。この頃をジュラ紀や白亜紀を含む中生代と呼びます。 福島県の双葉層から高校生によって発見され、やっと、38年後の2006年に新種として命名された首長竜フタバサウルス・スズキイもこの頃に生息していました。 6500万年位前には、手取層が分布する福井県、石川県、岐阜県など日本各地でも恐竜生息していました。しかし、ユカタン半島に落下した巨大隕石や地殻変動による大規模な火山活動による環境変化などが原因で恐竜が絶滅したと言われています。 これ以降の現代まで新生代と呼びます。 2500万年位前には、アジア大陸の東縁が盛り上がり、その西側は北東−南西方向の大きな陥没帯ができ、北西−南東方向には小さな陥没帯ができました。この小さな陥没帯をフォッサマグナ地帯と言います。新潟県佐渡の金鉱脈もこの頃のものです。1600万年位前、陥没帯が開き始め、海水が流れ込み日本海が誕生しました。また、フォッサマグナ地帯も海中に没したため、日本列島は多くの島々で形成されていました。この頃の日本列島は、対馬暖流が流れ込んでいため、熱帯−熱帯性の気候でした。 1200万年位前、激しかった海底火山活動が収束し、静かで深い日本海が誕生しました。また、日本列島が隆起し始め、九州と朝鮮半島が陸続きになりました。今度は北から冷たい海流が流れ込んでいたため、日本海に鯨が泳ぎまわっていました。 500万年ほど前、日本列島が隆起して現在の様な弧状列島を形成し、五頭山(ごずさん)などの新潟平野東縁の山地も海中から頭を出し始めました。従って、この頃の新潟平野はまだ海の底にありました。驚きの自然です。また、朝鮮半島と日本列島は陸続きだったため日本海には冷たい海流が流れ込んでいました。 40万年前には新潟県阿賀野市で最も身近な”自然”である五頭連峰が急激に隆起し始め、現在までの40万年間でおよそ1000mも隆起しました。続く30万年位前には、笹神(ささかみ)丘陵が隆起し始めました。この急激な隆起による変形(ひずみの増大)に五頭山塊の花崗岩が耐えきれず、頻繁に土石流を発生させては大日が原やいこいの森のような扇状地を形成しました。 2万数千年前この頃の阿賀野市旧安田町(やすだまち)の上野林J遺跡からは、新潟県最古と言われる石器が発掘されています。約1万年前から現在までこの頃は氷期が終わった間氷期にあたりますが、新潟平野の日本海だった部分はこの間(完新世≒沖積世)に形成されました。6000年ほど前(縄文時代)は、世界的な温暖化の時期に当たり、現在より気温が2度ほど高く、海面も3〜5m程度上昇していたようです。その後の寒冷化と、新潟県では阿賀野川や信濃川、加治川などが運んだ土砂が堆積して新潟平野が誕生しました。自然の威力には感心させられます。全国の沖積平野も同様に誕生しました。 この温暖化による海面の上昇(縄文海進)と寒冷化および日本海からの風の力により縄文時代から室町時代にかけて海岸線と平行な新砂丘T、U、Vが順次形成され、新潟平野は内湾状態になっていました。 そこへ尾瀬沼や猪苗代湖に源を発する阿賀野川や長野県の上高地などに源を発する信濃川、飯豊(いいで)連峰を源とする加治川(かじかわ)などが大量の土砂を運び込むことにより、それまで内湾状態だった場所が大低湿地となり、新潟の地名の由来となる多数の潟湖(ラグーンとも呼ぶ、福島潟、鳥屋野潟、紫雲寺潟etc.)が生じました。 村上市から新潟市(旧豊栄市)松影(まつかげ)や法花鳥屋(ほっけどや)を通り新潟市の鳥屋野潟まで延びていた最も内陸側の新砂丘Tからは縄文土器が見つかり、最も海側の新砂丘Vからは室町時代の遺物が見つかっています。 江戸時代に入ると新発田藩(溝口藩)は新田開発に力を入れ、享保15年(1730年)には、それまで大きく蛇行して信濃川に合流していた阿賀野川を新潟市松ヶ崎で砂丘を開削して直接日本海に注ぎ込むようにしました。その後完成した大河津分水や関屋分水及び他の河川工事や海岸工事により現在の新潟平野ができあがりました。 自然の素晴らしさには驚くばかりですが、自然の威力によって苦しめられもしました。 分水工事では大きな自然破壊を伴いましたが、残された自然を大切にしたいと思います。 月岡断層と笹神丘陵 (LANDSAT ETM+(Enhanced Thematic Mapper Plus) 阿賀野市は、新潟平野の東縁にあり阿賀野川の右岸(北東側)に位置しています。 市の最東縁には五頭連峰があり、地質学的にも有名な月岡断層に沿って大同二年(西暦807年)弘法大師空海が錫杖を突いたら湧き出したと言い伝えのある出湯(でゆ)温泉を始め、今板、村杉、宝珠温泉があり、新発田市(しばたし、旧新潟県北蒲原郡豊浦町)には月岡温泉があります。 月岡断層は、上のランドサットの衛星写真では一本の線のように確認できます。しかし実際には、500万年ほど前から隆起を続ける五頭連峰と 約30万年から15万年前までにほぼ隆起を終えた笹神(ささかみ)丘陵の間を村杉低地帯と呼び、その両側に断層面があります。 また、月岡断層は、フォッサマグナ地帯の東縁でもある新発田−小出(こいで)構造線に沿って分布する活断層帯の一部でもあり、2004年10月23日に発生した中越地震(M6.8)の震源域は、阿賀野市の南東方向約70km地点のこの構造線の10km程度西側(越後川口付近)に位置します。 村杉低地帯の風景(北東方向に月岡温泉を望む) 村杉低地帯の風景(月岡温泉より南西方向を望む ) |
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