地質時代と 日本列島・阿賀野市・五頭連峰 |
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地球が誕生した46億年前から現代までを日本列島や新潟県阿賀野市および五頭連峰の状況を 地質時代とともに一覧表にしてみました。 |
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先 カ ン ブ リ ア 代 |
46億年前 〜 5億 4千 万年前 |
隕石や月の古い岩石の年代調査などから、太陽系と地球が誕生したのは約46億年前と言われています。 約46億年前に、太陽系の星間物質が凝集を始め、そこに隕石が降り注ぐとともに衝突による熱のため線香花火の火球の様な地球が形成されました。 その後、隕石の衝突が減少したためか地球の温度が低下し、地表に雨が降り注ぎ海が誕生しました。その後、大気中の二酸化炭素が水に溶け、温室効果が低下したためますます温度が低下し原始の海と地殻を持つ地球が誕生したそうです。 生命の誕生は43億年前という説もありますが、グリーンランドの世界最古(38億年前)の堆積岩から生物由来の炭素が見つかっています。 オーストラリアでは、世界最古の化石(34.7億年前)と言われるのバクテリアや軟体動物の化石が見つかっています。 19億年前には最古のヌーナ大陸と呼ばれる超大陸が誕生し、その後ゴンドワナ大陸やシベリヤ大陸が誕生したと言われているますが定説はないようです。 |
古 生 代 |
5億4千万年前 〜 2億5千万年前 |
この時代には地球上の何処にどんな大陸が存在したのかは定説がないようですが、依然として地球内部は6000度位の高温のためマントル対流が活発で、プレート運動や造山活動の原動力となっていました。 3億年ほど前から、プレートの移動と沈み込みによりそぎ取られたものがアジア大陸の東縁に徐々に付加されて日本列島になりました。 まるでひょっこりひょうたん島の様に南から運ばれてきた珊瑚礁も新潟県の黒姫山や秋吉台の石灰岩として残っており、そこからはサンゴ・ウミユリ・三葉虫等の化石が発見されています。 因みに、日本最古の地層は岐阜県上宝村の4億5千万年前のオルドビス紀の地層だそうで、日本最古の化石(コノドント)も見つかっています。 また、日本最古の鉱物は、岐阜県七宗町で発見された30億年以上前(地球の内部からでもやって来た鉱物でしょうか?)のジルコン粒子だそうです。 |
中 生 代 |
2億5千万年前 〜 6500万年前 |
2億3000万年前に、最古の恐竜と言われる体長1mのエオラプトルが誕生しました。 地球全体の気候が温暖で、ジュラ紀(2億0300万年前〜1億3500万年前)には恐竜やソテツなどの裸子植物が繁茂しました。 この時代にはほ乳類や鳥類も誕生しましたが、中生代の後半には恐竜が絶滅しました。 手取層(新潟、富山、石川、福井、岐阜に分布)で多数の恐竜の化石や足跡の化石が見つかっている他、北海道から九州まで日本の各地で恐竜の化石が見つかっています。 それらの化石には、モンゴルや中国で算出されて化石と共通点が多いことから、当時の日本は大陸と一体だったことが推測できます。 上記の手取層からは日本最古のほ乳類の化石も見つかっています。石川県白峰村の1億4千万年前の白亜紀の地層から体長約10cmの肉食ほ乳類の化石が見つかっています。 7〜8000万年前の福島県のいわきしや双葉郡に分布する双葉層からは首長竜の化石(フタバスズキリュウ)が発掘(発見者は1968年当時高校生の鈴木直氏)されています。新聞(2006年5月16日、日経新聞)によれば、正式に新種として認められ学名が「フタバサウルス・スズキイ」に決定しました。同19日発行の専門誌「Palaeontology」に論文が掲載されるそうです。 |
新 生 代 |
6500万年前 〜 現在まで |
新生代は、恐竜が絶滅した後の現代までの期間です。この時代の初期には、まだ日本列島が形成されておらず大陸の一部でした。古生代から引き続いて2500万年位前までの間に、プレートに乗って日本列島に付加された地層が房総半島や紀伊半島・四国(有名な四万十帯)・九州の南部等で見られます。 約2500万年前から2万年前の間は、マントル流の上昇に伴ってアジア大陸が隆起し亀裂が生じました。東縁では、フォッサマグナという陥没地帯が誕生し始めました。(新潟県阿賀野市の五頭連峰の西側がフォッサマグナ地帯との境界で、月岡断層とか新発田−小出構造線と呼ばれています) その後も陥没や隆起・火山活動を繰り返して日本海が誕生したりして数万年前にほぼ現在の日本列島が形成されました。 約180万年前から1万年前までを更新世(洪積世)と呼び氷河期と間氷期が繰り返した時代で、氷河期では現在より気温が7度ほど低く、海面も現在より100mほど低かったため九州北部と大陸が陸続きでした。 有名なマンモス(400万年前〜1万年前)やナウマンゾウ(40万年前〜2万年前)が生息しており、人類も現生人類であるホモ・サピエンスが登場した時代でもあります。 1万年前から現在までを完新世(沖積世)と呼び、約6〜7000年前の日本の気温は、現在より2度ほど高く、極地の氷が溶けて海面が上昇し、現在より5m程高かったと言われています(縄文海進)。 この頃から海岸地帯に河川が運んだ砂や石が堆積し、近年まで気温の低下とともに海岸線が後退して沖積平野ができあがりました。新潟平野や濃尾平野、大阪平野、石狩平野などの沖積平野の全面積は全体の10%程で人口は50%だと言われています。 下の写真は氷河期の生き残りと言われる水生植物ミツガシワ。阿賀野市某所の湿地の群落で2010年5月3日に撮影しました。 |
新 生 代 の 阿賀野市 |
五頭連峰の 生い立ち |
新潟県阿賀野市の東縁に位置する五頭連峰は、その殆どが6000万年〜9000万年前の花崗岩でできています。花崗岩は、マグマがゆっくり冷え固まった深成岩であるため、本来は硬くて緻密な岩石です。しかしながら、フォッサマグナが誕生した時期に、五頭連峰も隆起と陥没を繰り返したため、無数のひび割れが生じてしまいアメリカ・ヨセミテのエルキャピタンの様な巨大な花崗岩の固まりには成り得ませんでした。 500万年ほど前になって、ようやく五頭連峰は深い海の底から顔を出しました。その後も五頭連峰は、豪雨で時には土石流も伴いながら山肌を浸食されつつ隆起を続けました。 40万年ほど前から五頭連峰は隆起速度を速め、現在では、標高912..5mの五頭山や同973.5mの菱ヶ岳などに代表される連峰になっています。 30万年ほど前には、五頭連峰の西側1kmほどの地域に、五頭連峰に平行な笹神丘陵も隆起を始め、15万年ほど前にはほぼ現在の姿を表しました。笹神丘陵には、海底で堆積した山寺層・笹神層(魚沼層と同じ)や五頭連峰から流れ出た砂や礫が層をなし、陣ヶ峰に代表されるように標高100m前後の丘陵が連なっています。 また、五頭連峰と笹神丘陵の間には、やはり、30万年ほど前から沈降を始めた幅500m前後の村杉低地帯があります。 |
新 生 代 の阿賀野市 |
五頭連峰の 地下資源 |
五頭連峰では、第二次世界大戦中に石炭も産出されていました。1500万年程前には湖や海の底だった山の神層が、五頭連峰の中腹などに露出してします。名前を小宮大室炭坑と言い、戦中は、毎日トラック1台分位産出していたそうです。 阿賀野市旧安田町のツベタ地区や裏五頭に位置する中ノ沢(旧三川村、現阿賀町、阿賀野川の支流)等には、マグマが流れながら冷却されてできる流紋岩が分布していることから、この地には火山の噴火口があったものと考えられます。この中ノ沢には金鉱山もあり、大正時代初頭まで採掘されていたそうです。 また、500万年ほど前の羽黒層(=寺泊層)からはアシカの化石も見つかっていますが、阿賀野市の旧笹神村の羽黒には羽黒油田があって、明治時代の後半から昭和の初期まで採掘していたそうです。 |
参考文献: 五頭山のおいたち編集委員会、五頭山のおいたち−地学ハイキング−、昭和59年7月20日 笹神村、笹神村史 資料編5 自然、平成14年3月25日 |
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Web Guide 阿賀野 地質時代と日本列島・阿賀野市・五頭連峰 |