阿賀野市笹神地区郷土資料館(五頭の麓のくらし館) |
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阿賀野市五頭の麓のくらし館(旧笹神村郷土資料館)は、新潟県阿賀野市出湯温泉下の国道290号線の脇にあります。アクセスマップ 廃校となった出湯小学校を再利用したもので、体育館や教室・廊下が展示スペースになっていて思いの外、大量の文化財であふれています。木造の校舎に石器 時代から昭和期までの考古学上貴重な石器や木簡、地質学上の研究の成果、そして昔懐かしい民具などが所狭しと並んでいます。 自然や歴史、文化・民俗にご興味のある人にとってはやや解説不足の感も否めませんが、その反面、小学生からお年寄りまでも十分楽しめる展示物も多数ありました。 最近の(税金で蒐集・運営している)博物館では、大した理由もないのに写真撮影が禁止される風潮がありますが、ここでは撮影が自由というのも好感が持てます。また、多くの展示品を実際に触ることができ、目の不自由な人や子供達でも直接展示品に触れ、その感触を確かめることができる貴重で重要な資料館です。東京国立博物館も見倣って欲しいものです。 但し、残念ながら、この郷土資料館は平成28年11月末から閉館中で他の場所へ移転を予定しているようです。その主な理由は、マッチ一本でも全焼しそうな木造建築にありそうです。熱意を持って収集・展示に協力した地元の篤志家に報いるためにも、早急なリニューアルオープンを期待します。 なお、移転予定先は旧安田町立山手小学校です。地図はこちら |
郷土資料館の入り口 グラウンドだった所には、現在社会福祉法人 五頭会の出湯保育園が運営されています。新潟県で最も古い笹神瓦 江戸時代後半の天明年間に興った新潟県で最も古い笹神瓦ですが、大正末期には良質な粘土か枯渇し安田瓦に取って代わられていったそうです。 (笹神村史 資料編四 民俗,pp.252-253) 発久遺跡から出土した須恵器 8〜9世紀頃のカメ。高さ510mm、最大径490mm。 |
莚機(ムシロバタ) 莚(むしろ)を織る道具です。昭和40年位まで各農家で使われていました。写真中央は、”ままちぐら” ママチグラとは、お櫃(おひつ)の保温容器です。”つぐら”とは、広辞苑に「わらを編んで作った器」とあります。 写真右下の大きなちぐらは赤ん坊用でしょうか? なお新潟県関川村では、「猫ちぐらの会」で様々な大きさの猫ちぐらを販売しています。 中央やや右は、”足踏み水車” 用水路や池から田んぼなどに水を入れるための人力揚水機です。羽板が車軸から真っ直ぐに伸びていないのは、揚程をより大きくするために工夫されたものです。 蓑(みの) 菅(すげ)でできた蓑でしょうか。随分きめが細かく上等に見えました。民家の台所 新潟県の阿賀野市近辺では、この様な場所を台所と呼んでいました。台所には囲炉裏、自在鉤、火棚がつきもので、隣接した土間などには煮炊きに使う 竈(かまど)や水瓶、流し、井戸などがありました。 新潟県では、高度成長期で新築が進んだ昭和40年位までこのような農家が数多くありました。 |
シンガーミシンと蓄音機 これは、初めてジグザグ縫いができたミシンかも知れません。シンガーミシンは、もともと20世紀初頭にアメリカのニューヨーク州で誕生した会社です。 手動式洗濯機 お医者さんあたりが、包帯を洗うためにでも使っていたのでしょうか? |
五頭連峰や阿賀野市の生い立ちをパネルで解説していました。 木暮山遺跡からの出土品 阿賀野市(旧笹神村)女堂(おんなどう)の笹神丘陵の東側に位置する木暮山遺跡から発掘された一万年ほど前の石器です。 『世界陶磁全集2 日本古代(小学館)』に紹介された須恵器の四足瓶(全周囲動画) 発久遺跡から発掘され、”他に類例を見ない異形の横瓶(よこべ)であり”と紹介されました。※この「世界陶磁全集」は、数年前迄、新潟市立沼垂図書館に備えられていました。 発久遺跡から出土した暦の木簡 官衙(かんが=官庁)遺跡とされる発久遺跡(ほっきゅう、地図)から発見された、西暦795年(延暦(えんりゃく)14年、桓武天皇が平安京に遷都した翌年)のものと推測される 月朔干支(げっさくかんし)を書き連ねた簡便な暦の木簡。 上の四足瓶(よつあしびん)とともに阿賀野市第一級の文化財で、 日本の考古学上でも大変価値の高い一品です。 発久遺跡(ほっきゅう)から発掘された返抄木簡 米を受け取った事を報告したもので、裏面の「磯部廣人」なる人が米の受け取り責任者だった可能性があるとのことです。 測量器具も展示されていました |
駕籠と幌付手押し橇 パッチ(メンコの事)や子供向け雑誌等も展示されていました。 |
石仏 鍛冶屋さんの道具類 旧体育館に復元展示されていた竪穴式住居 |
Web Guide 阿賀野 郷土資料館 |