阿賀野市には親鸞聖人の「越後七不思議」の内、「数珠掛け桜」、「八房の梅」、「三度栗」があります。

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親鸞聖人の越後七不思議
梅護寺(ばいごじ)の八ツ房梅(やつふさのうめ)、数珠掛桜(じゅずかけざくら)
孝順寺(こうじゅんじ)の三度栗(さんどぐり)
 浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、1207年(承元元年、年表はこちら)承元の法難によって、その師、法然等とともに流罪になりました。親鸞は越後に流され、約7年間をこの地で過ごされました。その後は、20年間ほど関東地方で布教活動を行い多くの高弟を輩出し、晩年は京都に戻り著作活動に励んだと言われています。

 そんな越後に親鸞聖人にまつわる”越後七不思議”とよばれるものが新潟県にあります。
 いずれも食物・植物に関するもので、その内の三つが新潟県阿賀野市にあり、二つが、小島(旧北蒲原郡京ヶ瀬村)の梅護寺にあります。もう一つが、旧安田町の孝順寺にあります。

阿賀野市へのドライブや観光のついでもにどうぞ。
越後七不思議 八房の梅(梅護寺)
越後七不思議 八房の梅(梅護寺)
H23.7.13撮影
親鸞聖人にまつわる
「越後七不思議」の梅護寺の
八房の梅。
5月初旬には8個前後付いていた実も、この時期では殆どが落果し一人っ子になっています。双子も珍しいくらいです。

地図こちら
梅護寺 梅護寺の入り口に建つ石碑
親鸞聖人と梅護寺 親鸞聖人と梅護寺
八房の梅

八房梅
(以上、2007.4.11撮影)
八ツ房梅
(やつふさのうめ)


左の写真のように梅護寺の八ツ房梅は、八重咲きの見事な梅です。

岐阜県関ヶ原関ヶ原町にも、梅護寺と同様に親鸞聖人にまつわる樹齢七百年以上の八房の梅があるそうです。
また、三重県御薗村には、菅原道真にまつわる八房の梅があるそうです。

 梅はバラ科サクラ属の落葉高木で、中国長江付近が原産地、日本には8世紀半ばに渡来したそうです。


めしべが8本るため、八つの実がつくそうですが、めしべの数まで数えませんでした。
(失念していたため、それなりの写真でしたm(__)m)   
クリックで拡大写真が表示されます
(2008.4.15撮影)
左の写真は、2008年に撮影した梅護寺の八ツ房梅
クリックで拡大写真が表示されます

拡大写真では、花柱が黄色っぽいめしべを8本前後見分けることができます。
八ツ房梅八ツ房梅
八ツ房梅八ツ房梅
(2008.5.1撮影)
左の写真は、2008年5月1日に撮影した梅護寺の八ツ房梅

この時期になると、めしべの付け根にあった子房(しぼう)が実に育っていました。

どの花にもめしべが10本以上あったようです。

従って、親鸞聖人の越後七不思議「梅護寺の八ツ房梅」は伝説ではなく真実です。
ただ、””は末広がりの縁起を担いだものと考えられ、どの花も実際には10個前後の実をつけているようです。
八ツ房梅
(2007.6.7撮影)
左の写真も、2007年6月7日に撮影した「親鸞聖人の越後七不思議」の一つ
梅護寺の八ツ房梅

 めしべの数だけ実を付けていた”八ツ房梅”ですが、この時期になると多くても三個程度に減っていました。
 大きくなるにつれて実同士の押し合いが激しくなるため、弱い実は落下してしまいます。
数珠掛け桜
(2007.6.7撮影)
数珠掛け桜
(じゅずかけざくら)

梅護寺の数珠掛け桜は、昭和二年国の天然記念物に指定されました。
「サトザクラ」系の栽培品種で、越後を中心に古くから栽培されていたそうです。
現在、「ならたけ病」蔓延により樹勢回復が望めない状況のため後継樹の育成中です。

 新宿御苑、小金井公園(東京都小金井市小平市などに跨る)の数珠掛け桜の原木は梅護寺のものだそうです。
その他、上野公園(東京都台東区)や枝川ふれあい道路(東京都江東区)にも「梅護寺数珠掛け桜」があるそうです。
孝順寺 親鸞聖人の「越後七不思議」の一つ孝順寺の
三度栗(さんどぐり)

保田孝順寺の地図こちら

 一年に三度花をつけるという三度栗が境内にある。親鸞聖人が貧しい老婆から戴いた焼き栗をこの地に植えたと伝えられています。

 写真は、豪農館斉藤邸の屋敷跡で、戦後の農地改革で手放したものが現在では孝順寺(浄土真宗大谷派)となっています。
孝順寺  左の写真は、孝順寺正面の写真です。

 中央やや左の木が栗の木ですが、親鸞聖人が1207年に越後に流されてから約800年にもなるので、”三度栗”の何代めかの子孫でしょうか。

 なお、ここ阿賀野市以外でも全国各地に、弘法大師空海や徳川家康にまつわる三度栗がのこされています。  
-番外編- 新潟県南蒲原郡田上町「了玄寺のつなぎがや」(親鸞聖人の「越後七不思議」)
了玄寺のつなぎがや
了玄寺のつなぎがや
了玄寺のつなぎがや
了玄寺のつなぎがや
了玄寺の親鸞聖人立像


 左の写真も親鸞聖人の「越後七不思議」のひとつ、”了玄寺のつなぎがや”。

田上町のホームページによれば、
「親鸞聖人が護摩堂山の城主に招かれ法話をした折、城主がかやの実を聖人に差し上げました。それは農民が年貢米の代わりに糸でつなぎ、納めたものでした。その一粒を地に植えると翌年に芽を出し、その実にはつないだ穴の跡と、また一枝で葉が表向きと裏向きに互い違いになっているというから不思議!
 このかやの木は、700年前、護摩堂山麓から了玄寺境内に移植されました。
 なお、護摩堂山頂付近には「つなぎがや自生地」があります。そちらも国の天然記念物に指定されています。」
との事でした。

”カヤ”と言えば、高級碁盤・将棋盤を思い出しますが、
了玄寺のつなぎがやは、暖地性の巨木になる”カヤ(榧)”とは違う”チャボガヤ(矮鶏榧)”という種類のようです。

また左の写真の葉っぱの裏面に、白い二本の筋がみえますが、これを気孔帯と言います。
気孔帯は気孔の集まりで、ヒノキやアスナロアスナロなどでも見られます。

 最後の写真は、了玄寺の境内にある親鸞聖人の立像。


 下の写真2枚は、了玄寺と同じ
新潟県南蒲原郡田上町の
豪農田巻家の「椿寿荘」。
観光にどうぞ

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