発久(ほっきゅう)遺跡の四足瓶      地図はこちら
                      
(観光情報のページの笹神地区郷土資料館もご参照下さい)


 発久遺跡四足瓶は、昭和28年頃に始まった耕地整理の際に、新潟県阿賀野市発久(ほっきゅう、当時は新潟県北蒲原郡笹岡村)から出土した須恵器です。
 大きさは、左右48cm、高さ24.5cm、口径12.4cmで九世紀のものだそうです。

 「世界陶磁全集 2 日本古代、小学館、p.208」に、吉岡康暢(よしおかやすのぶ、元国立歴史民俗博物館教授)氏により,、以下のように紹介されました。

 「中央に口頸部を据え、長い球胴の両端を砲丸形に絞って、先端に円形の突起を作り出し、ここから四方に鰭状の突帯が伸びる器体に、獣足を四脚取りつけてある。薬壷に獣足を付した個体が稀に存することは周知されているが、足指の表現を省略した異形の横瓶(よこべ)は類例がなく、何を形象したものかも明らかでない。横瓶は、北陸では奈良・平安時代を通して製作された特徴的な器種であった。越後北部の須恵器窯の製品は、北陸の基本型がややデフォルメされる傾向が認められので、こうした変種を生み出したことも、ある程度納得できるものがある。」

 この四足瓶は、新潟県阿賀野市の水原ふるさと農業歴史資料館に所蔵され、同じく新潟県阿賀野市の笹神地区郷土資料館発久遺跡のコーナーには貴重な木簡の現物と共に写真だけが展示してありました。この度、新潟県阿賀野市の生涯学習課のご協力により四足瓶を撮影することがかないましたので、分かり易くするためFlash化した動画を下に掲載いたします。1.2MB近くありますのでご辛抱下さい。

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 また、考古学に極めて造詣の深い川上貞雄氏のお話によれば、出土した当初は、横腹(上の写真の横腹部の丸い補修跡)に左右一対の角状の装飾が施されていたとのことでした。
 参考までに、私が想像したような”角”を有する韓国須恵器の写真を下に掲載いたします。



 なお、以下の方々のご協力によりやっと本物の四足瓶に辿り着くことのできました。ホームページ上ではありますが、改めて御礼申し上げます。
(お世話になった方々)
 阿賀野市出湯在住 川上貞雄氏、阿賀野市船居在住 小船戸斎舟氏(元笹神村教育長)
 阿賀野市生涯学習課長 諸橋勝芳氏、同文化行政係長 遠藤慎之介氏、同文化行政係主任 古沢妥史氏