中国原産の銀杏。日本には平安時代に持ち込まれたそうです。
珍しい銀杏(イチョウ)について
イチョウは、中国原産の落葉高木で、日本には平安時代後期(西暦1100年頃)に持ち込まれたと言われています。
この説
が正しいとすれば、日本のイチョウの最高樹齢は900年位となります。
イチョウを漢字では、銀杏の他、鴨脚樹、公孫樹などとも表記するそうです。イチョウは裸子植物に分類され、シダ類や松などの仲間(イチョウの葉脈も松の葉の様に、網目状ではありません)で、
古生代末期
に出現しました。
一般の針葉樹や被子植物(サクラ、マメ、チューリップ)より歴史が古く、裸子植物は種子を作る様になった最初の植物だそうです。
イチョウの葉の形は、末広がりの扇形をしていますが、扇の中央部で分裂する傾向が若木に多いようです。一番上の写真は、新潟県新発田市西公園の幹径が10cm程度の若木の葉で、それ以外は、同じく新発田市の五十公野(いぢみの)公園の銀杏です。
銀杏の実は、サクランボのように2個つくものと1個のものがあるようです。どちらが多いかはちょっとわかりませんでした。
下の写真は、新潟県五泉市大字論瀬字上郷屋(
地図
)の「
お葉附銀杏(オハツキイチョウ)
」と親しまれている樹齢600年(一説では800年)で樹高20m、目通周り7.5mの大木です。
名前の由来は、下の写真のように、葉の縁(ふち)の中央部に実を付けることからきています。この オハツキイチョウは、葉っぱの上に胞子を作るシダ類に似ていることから、植物の進化を知る上で学術上も重要なものだそうです。
五泉市の
お葉附銀杏
にはもう一つ特徴があります。それは、下の写真のように幹から垂れ下がっている気根です。全国各地で、この気根を乳房に見立て、子宝に恵まれるようもしくは安産の神様としてあがめられているようです。
国や都道府県、市町村から天然記念物として指定されているオハツキイチョウ、全国で40件あるそうですが、その中でも五泉新潟県市上郷屋のオハツキイチョウの幹が最も太いそうです。
左の写真の下段は
お葉附銀杏
の下に転がっていた普通の銀杏。上の段は、同じく転がっていたお葉附銀杏(上右は二個付いていました)。
お葉附銀杏
ではどちらの
数
が多いのかちょっとわかりませんでしたが、軸に実が付く普通の銀杏の方がはるかに大きいようでした。
下の写真は、同じく新潟県五泉市大字切畑字前田(
地図
)の「
切畑の乳銀杏(チチイチョウ)
」です。樹高40m、幹周り12m、樹齢は1000年以上とされています(前述した、イチョウが伝来したとされる時期からするとちょっと矛盾していますが...?)。なお、乳銀杏は雄木(イチョウは雌雄異株)のため結実しません。
「
切畑の乳銀杏
」は、「
お葉附銀杏
」と同様に乳房のように幹から垂れ下がった気根があることから母乳や安産の霊木として古くから信仰されてきたそうです(気根の撮影を忘れてしまいましたので掲載しておりません。後日、改めて撮影したらご紹介致します)。
また、東大寺大仏の建立に尽力した僧・行基が
大同二年(西暦807年)
の北国巡錫の折りに、このイチョウの枝から身の丈1.5mほどの十一面観音像を彫り観音堂に安置したとの伝承があるそうです。残念なことに、「
切畑の乳銀杏
」の正面にある現在の観音堂は、初代観音堂が消失した後に天保十三年(1843)に再建された二代目だそうです。
余談ですが、上方の新潟県新発田市西公園と五十公野公園のイチョウの写真は、平成18年10月末に撮影したものです。樹高がせいぜい10m程度の若木ですが、立派に黄金色に染まっています。
下方の新潟県五泉市の「
お葉附銀杏
」と「
切畑の乳銀杏
」の写真は、同じく平成18年11月3日に撮影したものですが、全く紅葉が始まっていませんでした。
新発田市と五泉市は直線距離で25km位しか離れておらず、また、山地からの距離にもそんなに違いがあるわけでもありません。それなのに紅葉の程度大きく違っています。他のイチョウを見ても思うのですが、日射しが隅々まで行き渡る若いイチョウほど紅葉が早く始まる傾向があるような気がしてなりません。ご見識がおありの方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡を戴きたいと思います。
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