新潟県阿賀野市の柿も色づきました
柿(カキ)は日本と中国に原生分布地域がある落葉高木(北隆館、原色樹木図鑑より)で、同じカキノキ科カキ属の近縁には、テーブルや仏壇に用いられる黒檀(コクタン)があります。よく似た名前の紫檀(シタン)はマメ科の植物で別物です。
柿の学名は、「Diospyros kaki」で”kaki”の文字は南蛮貿易で日本からヨーロッパに柿が伝わったためと言われています。
柿を英語では、”Persimmon(パーシモン)”と言いますが、その堅さからゴルフクラブ"ウッド"のヘッドに用いられたりもします。もっとも、最近ではチタンヘッドでもウッドと呼んでいますが...
日本では、柿渋に防腐効果があることから唐傘や和紙、板塀、漆器の下地材に使われたり、止瀉薬(下痢止め)や皮をなめす(なめし革)際に用いられてきたそうです。
下の写真は今年(平成18年)10月19日に新潟県阿賀野市で撮影した八珍(はっちん)柿です。八珍柿は、正式には平核無(ヒラタネナシ)と言い、種のない渋柿です。
八珍柿という名前は、承元の法難で35歳の時に、越後に流刑となった親鸞聖人の伝説
「越後七不思議」
の次に珍しい事由来しています。1173年(承安3年、西暦と和暦の換算表は
こちら
)京都生まれの親鸞聖人にとって、八番目に数えるほど”種なし”の渋柿が珍しかったのでしょうか?
因みに、「庄内柿」と「おけさ柿」も八珍柿で、新潟から持ち帰って産地化したものだそうです。
新潟県阿賀野市近辺では、渋柿を干し柿もしくは焼酎で渋抜きした醂柿(さわしがき)として食べています。「醂す(さわす)」とは、広辞苑によれば「柿の渋を取る。水に浸してさらす」と言う意味があり、柿の渋が抜けやすい特性を利用したものです。
柿の渋みの正体は、タンニン(英語でtannin。tanとは”なめす”という意味)という物質でポリフェノールに属します。ポリフェノールには、大豆のイソフラボン、ワインやお茶のカテキン、ウコンのクルクミン、ゴマのセサミンなども属しており、健康に良いと言われてる物質が多数発見されています。
この溶け易いタンニンが舌の味蕾を刺激して渋く感じるので、難溶性の物質に変えれてやば柿の渋みは感じられなくなり、もともと果実に含まれている果糖やブドウ糖の甘さが引き立ってきます。
柿渋タンニンを難溶性の物質に換える渋抜きの方法”さわし”方にはいくつかあります。柿を炭酸ガス(CO2)や焼酎(エチルアルコール=C2H5OH)とともに封入したり、お湯につけたりすればタンニンが難溶性の物質に変化(重合)し渋みが無くなってきます。
新潟県の阿賀野市周辺では、醂柿(さわしがき)といえば25度や40度の焼酎で”さわした”柿が一般的で、上の写真位に色づいた渋柿のヘタに焼酎をつけたり霧吹きで焼酎を吹きかけたりしてビニール袋に入れて密封します。すると1週間余りでおいしい醂柿(さわしがき)ができ上がります。
但し、焼酎のアルコール濃度や散布量そして収穫した日および前後の天候や気温によって、何日後に食べられるかは3から4日位のズレは生じてしまいます。
また、焼酎を吹きかけた渋柿をビニール袋に入れた状態で直射日光に晒して柿の温度を上げてやると、36時間後位には渋が抜けていますので、早く召し上がるには”加温”する方法試してみる価値があるようです。
上の写真は、平成19年11月5日に阿賀野市の
いこいの森
で撮影した「ヤマガキ」です。
葉の大きさは平核無(ヒラタネナシ)と同じくらいですが、写真を比較してもわかるように柿の実はかなり小粒です。元来、日本に自生していた柿の原種に近いものかも知れません。
柿の種の破片が弥生時代前期の池上・四ツ池遺跡から発掘されていたそうですし、飛鳥時代に「柿本人麻呂」という有名な歌人もいることから、古来より、日本人にとってなじみの深い果実だったのでしょう。
Web Guide 阿賀野
柿(カキ)
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